老いとは?
それにしても人が老いる意味とはいったいなんなのだろう?
まぁ意味なんてないのでしょうが。
体が日々衰えていくのを実感していて、ある意味この先順調に(つまり長生きしたら)生きれば、この感覚をこの先何十年も感じることになるのというのか。
一種の拷問とも言えますね?大げさですね。
ただ、体に関しては人より先に劣化しているのを感じてて、いや人より早いか、遅いかの軸で考えるから苦しむんだ、ってことも最近つとに骨身に沁みていますよ。
だからやっとそれに気づいてそう考えるのをやめようとはしてる、というか人より早く劣化している事に関しては諦めもだいぶついてきた。
「許す」、と「諦める」の違いは?実際、同じっすよw
それが最近感じることです。「こだわらなくなる」という点では同じで、じゃあ実際それは懸案事項を「許せた」からなのか、それとも「諦めた」からなのか…たぶん、明確に線は引けないんじゃないでしょうか。
ともあれ、体の劣化が最近急速に訪れている。
最も、そもそも大して健康ではなく2年ほど前に受けたバカな手術せいもあるとは思う。でも、その手術を受けなかった未来と比較することが原理的には不可能なわけです。
違う過去から違う未来への別ルートを選択する、なんていう仕様はないので現実には。アドベンチャーゲームならできますがアドベンチャーゲームだったら良かったのに。
なので、比較ができない以上そのせいだと断言することは理屈の上ではできないですよね。手術がなくても変わらずぼろぼろなってたかも知れないです。
ただ今感じてる体の痛みは手術のせいですけどね。
このせいでとにかくこの体で生きるのが不快でしょうがない。体への恨みばかり募っていく…生かしてくれているのもこの体なのに申し訳ないことです。
人それぞれ、老いに向き合わざるを得なくなる。
朽ちていく体を別のもので補完しようとするんだと思う。
人によって政治の世界に行ったり政治的発言が多くなるのも体の衰えへの代替なんじゃなかと思っている。めっちゃ乱暴ですが。
自分の体自体が若くて瑞々しくて、快適なのであれば、その体を使って何かすることを喜べるし、体という「自分自身」への魅力で生きられる。
だけど体が劣化して見た目にも華がなくなれば、「体」という自分自身での吸引力はなくなるわけで、それを他のもので、人間であれば社会的な何かで埋め合わせることで、体自体にはそれ程魅力はないものの、立ち回りや身に着けた社会的なリソースで同程度に勝負できる状態、周囲を引き付けられる状態を保とうとしているのではないですか?
文章が長いですか?
なんか、「埋め合わせ」に思えてくる時がある。もしくは言葉選ばず言えば暇つぶしとも。
もちろん本当に社会的問題意識を持って政治の世界に入る方はいるでしょうしそっちの方が多いでしょうまる。
体が老いてきて、魅力がなくなっていく(性的な意味で)。
「そうなった後」の人生の方がたいていの場合長かったんですね。なってみて気づきました。
最も、そもそも性的魅力などゼロのどちびおじさんなので何も失っていないとも言えるんですが?
だったら何をそんなに気にしているんだ、気になってるんだという話。自分でも制御不可能。
つまり体が痛い、痛みが辛いそういうことです。この痛み取りたい。