起こってしまった出来事は変えられない
ふと昨日くらいに思い浮かんだ言葉。
起こってしまった「事実」というとまた少しニュアンスが違う気もするので「出来事」とした方がしっくりくる。
「事実」は実際のところほぼ「主観」とイコールだと思うので。
自分からの評価を変えてしまえばその「事実」が持つ意味は真逆にもなりうる。
ので単に「出来事」と。自分の主観的評価が加わる前(と個人的に感じる)表現に。
まぁ誰か偉い人が言ってるんでしょうけどね?
思えば、特にここしばらくは過去に起こしてしまった事をなんとかしてなかったことにできないかと無駄な思考中の格闘を四六時中しているように思う。
ふと気を抜くと「あれがなければ」、「これをしなかったら」と既に自分の身に起こってしまった出来事が起こらなかった世界を妄想しています。
他にも、「自分が考える最高の存在」に自分がなれた世界を妄想している。
若くて(10代中盤から後半w)、肉体的にも最高クラスに優れてて、どんな輪の中にいても自然に溶け込めて、みんなを愛して、いい感情を分け与えられるような。
自分がそんな存在になったところを考えてしまっている。男性バージョンも女性バージョンもある。
まあ実在はほぼしない広瀬すずくらいですか?笑
「なりたい自分になる」とはいっても多少は自分と地続きな存在への思考ならまだしも、まるでかけ離れた非現実的な妄想だから生産性もあったもんじゃない。
こんな考えに費やす時間がほんとに多くなってて下手すると暇な時間の8割くらい当ててしまっているじゃないかと最近気づいた。遅い。
そしてこれまで何十個書いては捨ててきたかわからないブログをまた書いてみようと、ようやく1年ぶりくらいに思った。
普段SNSでもROM専でまったく発信していなくて、リツイートいいねをそれ用の垢でするくらい。Facebookなんて持ってすらいない。
結局匿名でできる(ついったも匿名ですけど)ブログが一番居心地がよいです。
紙に書く日記と同様です。
で、タイトルの言葉なんですけど、気づいたらそうやって頭の中で実際に起こった出来事まで消え去ってくれと、消してやると言わんばかりに妄想を積み重ねていたわけなんですが、当然のことながら消せるわけがないわけですね。
完全に無駄なことに割いている。リソースを。思考のリソースを。
同じ妄想をするにしても、もう少し現実の自分と繋がるような事を考えようよと。
広瀬すずになんて今世でなにがどうひっくり返ってもなれるわけもなし。
100年後くらいに全身義体が実用化されたんならまだしも。
というわけでそんな現実をもっと見る為にこのブログを開設しました。おわり。