NUMBER GIRL - OMOIDE IN MY HEAD
NUMBER GIRLはリアルタイムではほぼ聴いてなかったんだけど今になってほんと凄い。
年代的には聴いてておかしくないけど陰キャだった自分にライブに行くという『発想』そのものがなかった。
もちろん今も性格そのままなんだけどおじさんになって悪い意味でも人目が若い頃ほど気にならなくなり、というより若い頃以上に歳を取るほどにリアルに誰からも注目されなくなるので、結果自意識の過剰が勝手に薄れていくという現象が起こったようだ。
これは多かれ少なかれ誰の身にも起こるんだろうけど、自分の場合陰キャが悪い意味でも功を奏し加速度的に闇に紛れている。
そんなこんなで最早人から好意的に見られようがないという立場に実際なって、人からよく見られたいという壮大な夢にもある程度諦めがついたのかも知れない。
閑話休題――
ライブ(及びライブハウス)に行き始められたのは、考えてみたら前の職場で初めてライブハウス連れてってくれた先輩のおかげだったのか。
自分ひとりで勝手にライブハウスまで、さらにはバンドのライブを見に出かけようというのは発想はなかったかも知れない。
誘ってもらって、ハードルを一個超えさせてくれたから、その後一人でも逆に誰か誘ったりでも行くように、行けるようになった。
その意味で感謝だな。変えてくれたんだ。
スロット打ち始めたときもそうだけど(例がそれかよ)、まったく新しい趣味を得るときは人づては大きいね。
自分のように人間関係が希薄な人間はその機会は限られるとも言える。
強制的に新しい人間関係が始まる、職場を変えることによって上記の二つはもたらされたんだな、、
今いる腐れ縁の職場はその意味の外への広がりはこれだけ長く在籍してるのに考えてみたらないんだな、、
もともとフリーな要素の強い職場だから人間関係も希薄なままだし、、
もちろん普通に仲良くなっていく人々はいるようだが自分のように希薄なタイプは死ぬまでやってもないかも知れないな笑 この環境では、、
言うなれば大学に近いような、自由に任された関係性に近いから。
もちろん自分を決めつけてしまうのはかえってよくないでしょうがね。思考停止は不幸しかないか、、
改めて解散ライブの様子を見ていたけど本当に気迫というかほとばしりが凄い。
語りの部分からして名調子というか自分だけの言葉をしゃべっている。
お客さんもラストの凝縮感、圧縮された感情の爆発がすさまじい。
この場に居たかったとも思うけど、自分がこの場にいたら圧縮で砕け散ってるかも知れない体力が持たないな、、
でもこの高まりを生で感じたら一生の余韻になりそう。
3:55辺りを見てほしいです。